明:試し読みページ

心配するヒト

「最近休みがちだと思ったが、そういうことだったか」

古い革張りの椅子に座る教授が宙を眺め、そして納得したようにボクを見る。
その眼差しにはどこか同情が混ざっていた。

「まぁ、こればかりは仕方がないな。一応、出席は考慮しておくが、試験だけは受けるように」

「はい、ありがとうございます……」

ボクは口の中で「失礼します」と呟くと、頭を垂れたまま情報科の研究室を出た。

パタン……と、ボクの後ろでドアが閉まるのとほぼ同時に……。

「大丈夫だったかい? 少しは考慮してもらった?」

見慣れた先輩の顔が目の前に迫る。

「先輩、近いです。顔」

先輩に肩をつかまれ壁ドン寸前のボクを、通り過ぎる女子生徒たちがチラチラと見ていく。

こんな時ですら、他人の目が気になってしまう自分が恨めしい。

一方、ボク以外目に入っていない様子の先輩は、必死にボクの顔を覗きこんでは不安げな顔している。

少し長い前髪の猫背で色白の彼は、下手をすればボクの後輩と言っても通るだろう。
そんな先輩が少し目を潤ませて言う。

「小園(こぞの)君のお母さんの容態、相当悪いんだろ?」

「………………」

ボクは喉元に詰まった言葉を一度溶かし、ゆっくりと紡ぎ直した。

「医者から……一ヶ月持たないと余命宣告されました……」

ボクの肩を掴む彼の手が、小さく震えた……。

出入りする男(表題)

 
一 出入りする男

低いエンジン音。気詰まりな車内。
スピーカーから流れるアニソンだけが陽気な音を立てている。

「先輩。いい加減、雰囲気の良い洋楽の一つや二つ、用意しましょうよ」

ボクは高速を飛ばす先輩に言った。

「キミくらいしか助手席に乗せないからねぇ。別に必要ないでしょ。俺と雰囲気よくなっちゃっても困っちゃうじゃない?」

ボクより三つ上だけど『二年生』のこの先輩は、少し鈍感過ぎるほどのんびりとしているのが難点だ。

――何かと一緒に行動するボクの身にもなって欲しい……なんて、愚痴めいたことを考えたら罰が当たるよな……。

ボクはそんなことを考えながら、線の細い先輩の横顔を眺めた。

「先輩……母の病院まで送ってくれてありがとうございます」

「気にしないでいいよ。お見舞いのついでにキミを送ってるだけだし」

「ボクを送るついでにお見舞いをする……というのでしたら納得できるのですが……」

「じゃあ、可愛い後輩が久々に登校してきたから、先輩としては車を出すくらいはしないとって思っただけ……って言ったら納得してくれる?」

「先輩の人の好さだけは納得します」

「心配してたんだよ。大学にも顔を出さないし、電話しても出ないし、LINEも既読のまま返信がなかったからね。もしかして変な憑き物にでもやられたのかと思ったよ」

そう言えばそうだった。この先輩と付き合うようになってから、やたら数奇な出来事に巻き込まれるようになったんだっけ。

だが、今回の件は数奇でも奇妙でも無い。ある種非常に現実味のある話だ。

「言いにくかったんですよ……母が末期のガンだった……なんて」

ボクは、細い目をさらに細めて運転する先輩から目を離し、流れていく風景を眺めた。

車はいつの間にか高速を降り、一般道に入っている。スポーツカーに乗っているとは思えないほど滑らかな運転だ。だいぶ、この中古のスポーツカーの運転にも慣れたようだ。

「ようやく顔を合わせた後輩が青い顔をして、休学しようと思う……なんて言われた先輩の身になってみてよ。心臓止まるかと思ったよ」

「そんなことくらいで心臓止めないで下さい。でもまぁ……教授陣への相談の仕方なんか教えてもらって、本当に助かりましたけどね」

「意外と出席なんてどうにかなるもんだからね。後は試験さえどうにかすればいいわけだし、ムダに休学する必要なんてないよ」

「そうですね、よく考えたら、ボク奨学金貰っているんで、留年すると打ち止めになってしまうところでした」

「留年した先輩のアドバイスは参考になるだろう」

「……そのドヤ顔、虚しくなりませんか?」

「………………」

先輩がドヤ顔から切ない表情に変わると同時に、大きな病院の看板が現れた。

古い大学病院の駐車場に車を止める先輩。

エンジンを切っても動こうとしないボクに、彼はそっと目を向けた。

「小園君のお身内って、お母さんだけなんだっけ?」

「そうです、父は小学校六年の時に交通事故で他界しましたから……」

「そっか……」

「田舎に祖母はいますが、母がいなくなったらボクは本当に一人になってしまうな……なんて、今更ながら痛感してます」

「…………行こうか」

先輩は吹っ切ったように言うと、車を降りてわざわざ助手席のドアを開けた。

「別にボク、一人で車から降りられますよ」

「いいから。ほら、行こう」

先輩はボクの手を掴むと、病院のエントランスへと歩いていく。

少しだけ冷たい先輩の手が、自動ドアを通り、エレベーターに乗り、廊下を歩いても、ナースステーションの前を通過しても、ずっとボクの手を握り続けてくる。

「先輩……なんでボクの手を握ったままなんですか?」

「なんだかキミが寂しそうだったから」

「……看護師が見てますから、やめてください」

「意外とシャイなんだねぇ」

「先輩の変な積極性には驚かされますよ。どうしてそれで彼女ができないんだか……」

「女って生き物は、男を顔とお財布の厚さだけで選ぶからねぇ」

「先輩の顔、べつにマズくはないと思いますけど」

「そうかなぁ?」

「ボクに褒められて、めちゃくちゃ嬉しそうな顔しないでください」

下らない会話が、ボクの心を少しだけ軽くしてくれる。

「…………先輩、ありがとうございます」

「んー?」

少しだけ口を綻ばせたボクに、先輩はとぼけたような笑みを返す。

重苦しい病室へ入る前の、ほんの少しの休憩……そう思ってボクは再び前を見た。

と――――。

「……なんでしょうか……あれ?」

人気のない入院棟の一角で、ボクらの足は止まった。

「患者……さん……かな?」

呟く先輩の顔がこわばっている。

母の病室の三部屋手前。

重病人しか入院していないはずの、病室のドアの隙間から、黒い影が出たり入ったりを繰返している。

それも、体全体で出入りを繰返しているのではない。

黒い髪の頭部だけが、病室の中から出たり入ったりしているのだ。

「えっと……関わっちゃいけないタイプの方だよね、きっと」

「そうですね……」

頭が出たかと思うとすぐ引っ込んでしまうため、その顔をしっかりと確認できたわけではない。ただ、一瞬の骨格と短い髪で、男であろうことはわかる。

下を向き、ただ、ひたすらに病室の入り口から頭を出し入れする男。

ヘッドバンキングをしているわけではなく、うつむいたまま一歩前進し、一歩後退するということを繰返しているようだが、足音も聞こえない。

静まり返った病棟で、繰返し頭部が出ては入り……出ては入り……出ては入り……。

「ちょっと、通れないんですけど」

「わっ!?」

突然、背後から大きな声が聞こえ、ボクと先輩は飛び上がって振り向いた。

ボクらのすぐ後ろには、迷惑顔の若い看護師が立っていた。

「通路の真ん中に立たれたら、他の患者さんにも迷惑ですよ」

「す……すみません……」

ボクも先輩も壁に張り付くようにして道をあけ、彼女が通るのを見送る。

迷惑顔の看護師が、先ほどの、頭を出し入れしていた男がいた病室を覗く……。

「あら、――さん、顔色が良くないですね。ちょっと先生を呼びましょうか――」

彼女は中にいた患者に声をかけながら病室へ入り、ピシャリとドアを閉めてしまった。

――あの看護師は、この病室の患者の奇行に気がつかなかったのか……?。

「小園君、大丈夫かい?」

「あ、はい。すみません、なんか気になってしまって……」

「そうだねぇ……」

再び歩き出した先輩について歩き、ボクは首を傾げた。

「ここって、精神病患者も受け入れているんでしょうか」

「どうだろう……。もしかしたら、闘病生活に疲れて、ちょっとおかしくなっちゃったのかもしれないしね」

「そう……ですね」

先ほど見たモノについて深く考える間もなく、ボクは母の入院する病室のドアの前に立った。

ぴたりと閉められたドアからは、重苦しい静寂しか感じられない。

ボクは気持ちを切り替えて、そのドアを開けた。

「あら、正(ただし)君、お久しぶり」

「……おばさん!?」

母しかいないと思っていた病室に懐かしい顔を見つけ、ボクは思わず大きな声を出してしまった。

おばさんと呼ばれた彼女は母の座るベッドの脇から立ち上がり、親しみのこもった表情で微笑んでいた。

「ずいぶんと会ってなかったわね。中学校を卒業してからはこっちに戻ってこなかったものね」

「引越しやら受験やらで忙しかったもので……。それより、わざわざ母のお見舞いに来てくださったんですか?」

「そうよぉ。お婆ちゃんから幸枝さんが倒れたって聞いて、居ても立ってもいられなくてねぇ」

幸枝――母は、ベッドに寄りかかったまま嬉しそうに微笑んでいる。

大分痩せてしまってはいるが、今日は調子が良さそうに見える。

母の様子に少し安心しているボクの隣で、先輩がモジモジと口を開いた。

「えーっと、小園君……こちらの方は……?」

人見知り激しい先輩の性格を思い出し、ボクは慌てておばさんを紹介する。

「すみません。彼女は母の幼い頃からの友人で、母の仕事の関係でこっちへ引っ越すまで、ずっとご近所に住んで良くしてもらっていたんです」

「ふふふ、小学校一年生の頃からの付き合いだからねぇ、四十年以上の付き合いかしら。だから正君の事も、オシメの頃から知っているわよ」

「おばさん、その辺の話は……」

「あらごめんなさい。年を取るとおしゃべりになってしまうのよね。ところでこちらの方は?」

どこか少しのんびり屋のおばさんは、今更のように先輩のことを気にしだす。

「彼は大学の先輩で、よく面倒を見てもらっているんです。今日もここまで車で送ってくれて……」

「あー、いえ。普段から小園君を色々連れまわして、付き合ってもらっていたもので、これくらいはと思いまして」

「仲良しなのねぇ」

「は……はは」

会話の苦手な先輩を、おばさんはどこか遠く……そう、先輩の後ろを眺めるかのような目で見つめている。

「あの……息子がお世話になっております。あまり学校のことを話す子じゃないんですが、たまに先輩が……なんて言って、楽しそうに話すことがあったので、お会いしたかったんですよ」

母が疲れた顔をしながらも、先輩に頭を下げる。

「い、いえっ。そんな頭なんて下げないでくださいっ」

「初めてお目にかかるのがこんな病床で申し訳ないですねぇ……。息子はずいぶんとあなたのことを慕っています。私もこれ以上面倒を見ていられないかもしれません……。何かありましたら息子をお願いします……」

「や、やめてくださいよ、そんな縁起でもない……。大丈夫ですよ、きっと……」

母の気弱な言葉はもとより、先輩の辛そうな表情がなにより心に突き刺さる。

やはり、この場に先輩を連れてくるべきではなかったと反省し、ボクは唇を噛んで黙っていた。

「……正君、ご飯食べた?」

「え? 軽くは食べましたけど……」

「バタバタしているときこそちゃんと食べないとダメよ。幸枝さんも少し寝たほうがいいし、ちょっとおばさんと下のカフェでご飯食べましょう」

「おばさん……」

「じゃ、幸枝さん。すぐ帰ってくるけど、ちゃんと寝ててね」

「ええ、よろしくね……」

よほど気まずそうにしていたのだろうか。おばさんはボクを気遣い外へと連れ出してくれた。

案の定疲れていたのか、ボクらが病室を出るのを待たずに、母は横になって目を閉じていく。

その様子に心苦しさを感じつつ、ボクはそっとドアを閉めたのだった……。

 

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