山岸君の家③

「ありがとうございましたー」

けだるい店員のあいさつに背中を押され、ボクらはコンビニを出た。

ボクと先輩の片手には、共にコーヒーやお弁当をぎっしりと詰め込んだ袋が握られている。

先輩は空いた片方の手で、再びタバコを取り出そうと、もぞもぞとうごめいていた。

「あーだめだ。本数少ないと、片手でトントンしても出てこないんだよねぇ」

「帰るまで我慢してればいいじゃないですか」

「なんかあのアパートに帰るのも、ちょっと嫌な気分でねぇ。気を紛らわすためにも一本……お願い小園君、一本取って咥えさせてぇ」

「嫌ですよ、面倒な」

「お願いっ、お願いっ」

「あーもうっ、道端でやめてくださいっ」

お願いという割には、人の顔にタバコの箱を押し付けてくる先輩。

ボクは辟易したようにタバコを一本抜き取ると、それを先輩の口に咥えさせた。

「あざす」と急に冷静な態度になって、先輩はタバコに火を付ける。

白い煙が幽霊のように空へと昇っていく……。

「……ボクも一本もらいますよ」

「おや、珍しい」

「たまにはね」

ボクは先輩の差し出すタバコの箱から一本抜き取り、自分の口に咥えた。

もぞもぞと箱をしまい、ライターを出そうとする先輩。ボクはその手を押しとどめ、先輩の口元に光る、小さな赤い火を見つめた。

「こちらからで結構です」

「お…………」

先輩の咥えたタバコの先に、自分のタバコの先端合わせ、ボクは深く、ゆっくりと息を吸った。

甘く、少し変わった煙の味が口の中に広がる。

「……行きましょう」

「お、おう……」

ぎくしゃくと、それでいてちょっと嬉しそうに歩き始める先輩。

「……キミもずいぶんと積極的だねぇ」

「あれくらいで何を言っているんですか」

「ふむ……じゃ、もっと上級なことを頼んだら、やってもらえるのかな」

「ことによってはぶん殴りますけど」

「………………」

「まぁ、キスくらいなら、もう感覚麻痺しちゃいましたから」

「キミも大概だと思うよ」

「お互い様でしょう」

言葉遊びをするボクらは、なんとなく互いの顔を見合う。

どちらからともなく足を止め、暗がりで佇むボクと先輩。

ボクより少しだけ背の低い先輩の顔が、すぐ目の前に近づく。

そして――――。

「……先輩、電話鳴っています。たぶん山岸君です」

「いつか、山岸君のひげを永久脱毛してやろうと思ってるんだ」

先輩はポケットから携帯を取り出すと、無表情で通話ボタンを押した。

「……うん…………うん……わかった。うん……じゃ」

「早い上に、愛想が悪い上に、適当な相槌でしたね」

ボクは五秒足らずで電話を切った先輩に言った。

「山岸君、去年のカンファレンス資料、大学に置いてきたことを思い出したらしいよ」

「げ……それないと作業進められないじゃないですか」

「うん、だからバイクでひとっ走りして取りに行ってくるって。玄関開けっ放しにしておくから、勝手に入ってろ……だそうだよ」

「彼、絶対田舎育ちですよね……」

「キミに言われたら本物だねぇ」

ボクらは短くなったタバコをふかしつつ、山岸君のアパートへと戻っていった。

ほどなく到着したアパートの少し手前で周囲を見回したが、先ほどの車いすの老婆は見当たらない。

おそらく家族に連れ戻されたのだろう。

灯りの消えた部屋の多い、寂しいアパートへと足を踏み入れるボクら。

 

 ジ……。

 

 ジジ……。

 

血迷った蝉が、耳障りな音を立てて外灯へと体当たりを繰り返している。

「……俺、もう一本吸ってから入るわ」

山岸君の部屋のドアの手前で、先輩がボクに荷物を渡す。

「またですか?」

「中に入ったら吸えないし、ここなら虫も来ないから」

先輩は階段上の、薄暗い蛍光灯を見上げた。

蛍光灯のカバーの中で、数匹の虫が硬くなって死んでいる。

数段下の踊り場からは、暗く、よどんだ空気が流れ込んでくる。

ボクは肩を小さくすくめ、玄関のドアを開けた。

「ごゆっくりどうぞ――っ!?」

先輩を残し玄関に入ったボクは、はっとして顔を上げた。

玄関の真正面にある、彼の部屋のドアは開け放たれており、ひんやりとした空気が廊下にまで流れている。

そして、その開け放たれたドアの向こうには、驚いた顔をしたボクがいたのだ。

――鏡の向き、戻したな……。

ボクは玄関手前にある小さなダイニングに荷物を置き、彼の部屋へと足を向けた。

鏡に映るボクの姿がだんだんと近づいてくる。

当たり前のことがすごく気になってくる。

なぜだろうか、得体のしれない不安感がボクを襲う。

――隙間が空いている……?

そう、彼の部屋に近づこうとして気が付いた。開かずの間のドアが少しだけ開いていたのだ。

明るい廊下の光を吸収しているかのごとく、隙間から見える向こうの部屋は真っ黒だ。

「………………」

気になる。

すごく気になるが、もしかしたら山岸君がヘルメットを取るためにその部屋に入ったのかもしれないし、閉め忘れただけかも知れない。

鏡だって、横を向けたら使いにくかったから、結局正面に向き直しただけだろう。

――人様の家なんだし……。

ボクはそう割り切ることにして、トイレを借りることにした。

開かずの間のドアの手前で踵を返し、ボクは洗面所につながるトイレに入った。

狭い個室は安心感を呼び戻す。

ボクは用を済ますと、便座に腰を落ち着かせたまま天を仰いだ。

――やだな、他人の家で無駄に不安を感じるなんて。

山岸君だって、きっと少しでも家賃を節約するために、墓地と葬儀場に挟まれたこのアパートを選んだのだろう。

広くてきれいなアパートだし、こんな条件でもなければ借りられなかったのだろう。

怖がっていたら申し訳ない。

そう思うと、鏡を動かしたことすら申し訳なくなり、ボクは一人自嘲めいた笑みを浮かべた。

 

「――まだ?」

 

トイレの外から声がする。

「あ、すみません」

ボクは順番待ちをしている先輩のために慌てて立ち上がり、トイレから出た。

「すみません、ちょっとぼーっとしちゃって…………あれ?」

 

誰もいない。

 

トイレの外には誰もいなかったのだ。

 

廊下には明かりはついているが、山岸君の部屋にも、開かずの間にも明かりはついておらず、シンとした空間に、ボク一人の息遣いが聞こえる。

 

『――まだ?』

 

――トイレの外から聞こえたあの声。急いでたから深く考えなかったけど、あれ……女の人の声だったかもしれない……。

突然気が付いた事実に、肌が粟立っていく。

「せ……せんぱい……?」

それでもボクは先輩が戻ってきたのかもしれないという、淡い期待を抱き、小さな声で呼びかけをした。

その時――――。

 

 

 

 

「ぎゃあああぁぁぁっ!!」

 

 

 

 

「!?」

玄関のドアの向こうから、つんざくような悲鳴が聞こえた。

一瞬にして硬直するボク。

ボクの目の前で、騒々しい音を立てて玄関が開き、血相を変えた先輩が飛び込んできた。

「ど、どうしたんですか!?」

「おど……お……踊り場の外を……子供が……」

「は?」

「踊り場の外側を子供が……ランドセルせ、せ、背負った子供がすーーって、通っていったんだよ!!」

「………………」

普段なら「いけない薬でも飲んだんですか」などと言って、適当にあしらうのだが、先輩の様子を見る限り、嘘でも冗談でもないことが一目でわかる。

そして何より…………。

「先輩……さっきトイレに入っているボクを呼びましたか……?」

「は……? 何言っているんだよ、ずっと俺、玄関の前でタバコ吸ってたんだよ。そしたら、急に踊り場の外側を子供が走り抜けていったから、『ああ、こんな時間に帰ってくるなんて、小学生も大変だね』なんて思ったんだけど、よく考えたら踊り場の外側に道なんてあるわけなくて……」

「………………」

先輩が言葉を止めた瞬間、廊下に静寂が広がる。

そして……その静寂は、ボクに聞いてはいけない音を届けてきてしまった。

 

 ゾゾゾ……。

 ゾゾゾ……。

 

何かが、床を這うような音が聞こえる。

 

 ゾゾゾ……。

 ゾゾゾ……。

 

開かずの間だ。

開かずの間の隙間から、床を這う音が聞こえる。

 

 ゾゾゾ……。

 ゾゾゾ……。

 

暗く、陰鬱な闇の隙間から、音が流れてくる。

それと当時に、濃い線香の香りが流れ込んで……。

 

 

 

 

 

バンッ!!

 

 

 

 

 

「!?」

突然、近寄ってもいないのに、ドアが音を立てて閉まったのだ。

「せ……先輩……」

「あ……ああ……見たよ……」

「で、出ましょう。すぐにこのアパートから出ましょう」

「賛成……っ」

先輩とボクはじりじりと後ろに下がり、もつれるようにして玄関から飛び出した。

玄関のドアを閉める直前、突き当りにある部屋が視界に映った。

開け放たれたままの部屋のドア。その奥に置かれている鏡は……ボクが昼間ずらしたままに、横を向いていた。

――え……さっきボクの姿が映っていたはずなのに……っ!?

「先輩……おかしいですよ、このアパート!」

「わかってるよっ!でも、山岸君は平然と住んでて――」

「あの人は鈍感なだけです!!」

「と、ともかく彼が戻ってくるまで、避難していよう」

「わかりました……っ」

先輩の言葉と共に、ボクらは走るようにしてコンビニへ戻った。

少しでも明るいところ、少しでも人がいるところ、少しでも恐怖が薄らぐ所へ行きたかったのだ。

人のはけた葬儀場を抜け、明るいコンビニへ着いたボクらは、大きな息を吐いた。

「山岸君……一人であの家に入って、大丈夫でしょうかね……」

「俺たちがいないと思ったら電話が来るだろうし、むしろ彼がいた方が霊も悪さもしないような気がするよ……」

「あの人、鈍感なんじゃなくて、ちょっと神がかってるんじゃないですか?」

「山岸君は悪運が強いだけだよ」

「老婆といい、開かずの間といい……なんなんでしょうか」

「…………あのアパート、実は名のあるホラースポットだったりして」

そう言って先輩の指さした先には、『ホラースポット100』という、オカルトめいた小さな本が置かれていた。

「はは、まさか人の住んでいる家を掲載するなんてこと……」

ボクは冗談めいたその本を取り上げ、パラパラとめくった。

そう、まさか本当に人の住んでいる家が、ホラースポットとして取り上げられているとは知らずに――。

「……山岸君、キミは本当に悪運が――」

 

 

END

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